歴史の存在
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歴史の存在
「時間系」は、日本で活躍していた武将や貴族のほか、海外で活躍していた国王や武将などを元ネタとするユニットたちである。
基本的には、歴史の人物像を題材としているが、遠山金四郎景元の様に空間系スレスレの時代劇のキャラクター性を下敷きとしたユニットや學天則の様な人造物も存在している。
名前 | 詳細 |
---|---|
海外 | |
クレオパトラ7世フィロパトル | 紀元前69年から30年まで活躍していた実在の人物で、古代エジプトプトレマイオス朝最後のファラオである。一般に「クレオパトラ」として浸透しているのは、この人のこと。「絶世の美女」として知られている。 ゲーム内ではガイウス・ユリウス・カエサルと恋人関係になっているが、実際には夫のプトレマイオス13世がいる中で、カエサルと愛人関係を築いていた。 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」というのは、クレオパトラがその美貌でカエサルなどの男性を翻弄していたという意味でフランスの哲学者ブレーズ・パスカルが評したもの。歴史家プルタルコスによればクレオパトラは特段美しかったわけではなかったとか。クレオパトラに惚れ込んだカエサルも、彼女の頭の良さと声の良さを讃えているが、容姿については語っていない。研究者も「実は美人ではなかった」という見解をたびたび発表している。 まぁそもそも、美人かどうかなどその人個人の感想でしかないのだが…。 |
マンコ・カパック | インカ帝国の前身であるクスコ王国の初代国王として活躍していた人物。出自については複数の伝承が伝えられているが、神話的な存在であるため、実在性は疑問視する説もある。 「炎と太陽の神として崇拝されている」、「タパク・ヤウリと呼ばれる斧状の金の杖を持ち、その神威は大地を砕く。」というのはインティ伝説によるもの。 姉妹であるママ・オクリョと結婚し、彼女との間には次の国王となるロカという息子がいた。 |
ガイウス・ユリウス・カエサル | 元ネタは同名の紀元前に活躍していた軍人であり政治家、さらには文筆家でもあった男性。「賽は投げられた」、「来た、見た、勝った」 、「ブルータス、お前もか 」などの言葉が有名。 ガリア戦争やローマ内戦での活躍が特に有名ではないだろうか。このローマ内戦にて「~(前略)、賽は投げられた」と味方に檄をとばしたという。「来た、見た、勝った」は戦況報告にて使った言葉である。また、最期はブルータスら元老院派によって暗殺されており、そのとき叫んだ言葉が「ブルータス、お前もか 」。 |
ジャンヌ・ダルク | 元ネタは同名の15世紀のフランス王国の軍人。フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人でもある。女性でありながら、軍人として大きな功績をあげたからか、彼女の名を元ネタとした作品が多く存在する。また、そういったことから各地の戦いに参加した女性のことを「○○のジャンヌ・ダルク」と呼ぶことが多い。 女騎士と聞くと、ジャンヌ・ダルクを連想する人が多いだろうが、彼女は厳密には騎士ではない。 フランス東部にて、農夫の娘として生まれた彼女は、ある日神からの啓示を受けことから、軍を率いて戦うこととなる。1429年にフランスの都市オルレアンの解放にて大きな戦果を挙げたため、「オルレアンの乙女」とも呼ばれている。 最期はコンピエーニュの戦いにて捕らえられ、火あぶりの刑に処されている。 |
にャー子 | 元ネタ…というか小ネタ 「猫」という存在は、人々の大切な穀物を守ると同時にペストをまき散らすネズミを退治してくれる生き物であり、古代エジプト時代には神聖な生き物として大事にされていた。 そんな猫も中世のイギリスでは「魔女狩り」影響で悪の象徴とされていた。というのも、キリスト教がグノーシス派を「黒猫に姿を変えた悪魔と手を結んでいる」としたから。 また、14世紀にはヨーロッパでペストが大流行し、これを悪魔、すなわち猫のせいとして大量の猫を虐殺するが、ペストの原因であるネズミを退治する猫がいなくなったことでネズミが増え、ペストはさらに流行し、ヨーロッパでは大量の死者がでた。 |
トーマス・A・エジソン | 元ネタは、アメリカ合衆国の発明家、起業家。Aは「アルバ」。 「発明王」の名でも有名な人物で、生涯におよそ1,300もの発明を行った人物である。その例に蓄音機、白熱電球などがあり、電力システムの事業化にも成功している。また、研究所が置かれていたメンローパーク(カリフォルニア州にある都市)にちなんで「メンロパークの魔術師」とも呼ばれる。 「Collective Genius(集合天才)」は彼が設立した会社「ゼネラル・エレクトリック」の組織運営の考え方の一つで、要約すれば「1人ひとりは凡人であっても、互いに協力し合えば1人の天才をも凌ぐ存在となりえるだろう」というもの。 彼の名をもつ原子力潜水艦も存在する。 |
アーサー・ペンドラゴン | 元ネタは5世紀後半から6世紀初めに存在した(?)ブリトン人の君主。 日本でも、アーサー王の名前で親しまれており、彼の活躍を記したアーサー王物語は古今東西数々の創作において、彼自身から使用した武器まで含めて引っ張りだことなっている。 しかし、このように彼の活躍はファンタジー作品によく用いられる程度に創作じみており、魔法まで登場する。このため、当然これらの資料の史実性は皆無として扱われており、現に彼が実在の人物だと思っている者の方が少ないはずである。 ただ、歴史資料上に登場する人物ではあり、英雄視して語り継がれているが、一応題材となる人物は実在したはずであるという考え方も存在している。本ゲームではこれを採用した形で時間系となっていると推測される。いわば第99代ウァレンティヌスの逆。 |
関羽 | 元ネタは中国後漢末期に活躍した蜀の将軍。雲長は字(あざな)。どごぞのガングロギャルのように「関羽雲長」というような呼び方は普通しない。 三国志を扱う漫画、ゲームでは必ずと言っていいほど登場する人物。劉備や曹操などの有名武将を差し置いての登場。運営は関羽が好きなのだろうか? 黄巾の乱にて、劉備と張飛と出会い、張飛とともに劉備の護衛官を務めた。以後劉備に仕えるようになった。樊城の戦いにて徐晃に敗れ、輜重を孫権に奪われると、関羽は益州に逃れようとしたが、孫権軍に退路を断たれ、馬忠に捕らえられ斬首されたのが彼の最期である。 武将であるが学問にも秀でており義にも篤く、現在では関帝聖君という名で神格化されており商売繁盛や受験前の学生がお参りするなど多方面で活躍中。日本では横浜中華街の関帝廟が有名。 |
張飛 | 元ネタは中国後漢末期に活躍した蜀の将軍。益徳は字(あざな)。どごぞのお菓子好きのように「張飛益徳」というような呼び方は普通しない。 こちらも関羽と同様に、三国志を扱う漫画、ゲームでは必ずと言っていいほど登場する人物。主君より先の登場。運営は彼らの主君であるあの人がお嫌いなのか? 劉備が「黄巾の乱」(184年)に臨むために義勇兵を集めようとしたときに関羽とともにその徒党に加わり、以後身辺の警護等を務めるようになった。長坂にて、劉備を逃すために大軍の曹操軍と対峙し、それに対しひるむどころか一喝し、曹操軍の戦意を失わせた「長坂の戦い」は大変有名である。最期は呉攻略の準備中に恨みを買っていた部下に殺されたのであった。 実は、曹操の臣下である夏侯覇の従妹を捕らえて自分の妻にしており、その時の従妹の年齢は13~14歳であったという。つまり張飛は、lо(おっと!これ以上は言えないな)。 のちに劉禅(劉備の息子)の妃となった星彩は彼の娘の一人である。 |
楊貴妃 | 元ネタは、中国唐代の皇紀。世界三大美女の1人であり、古代中国四大美人の1人でもある。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。つまり、楊貴妃は本名ではない。 音楽や舞踊に多大な才能を有していたことでも知られている。 745年に楊貴妃となった彼女は、数々の伝説を残しながら暮らしていたが、755年に安史の乱が起こったのち、乱の原因となったいとこおよび姉たちを殺害され、楊貴妃は自殺を命じられた。 楊貴妃の足のサイズは10cmもなかったといわれており、ここから「楊貴妃は纏足」、「纏足の起源は楊貴妃」などといわれている。 |
チンギス・カン | 元ネタは、モンゴル帝国の初代皇帝。チンギス・カン、またの名をチンギス・ハーン、またの名をジンギス・カン。あの羊肉料理の名と同じだが、どうやら無関係ではない模様。 モンゴル族の長イェスゲイ・バートルの長男テムジンとして生まれる。幼少期に父を殺され、貧しい生活を強いられることとなる。成人後、許嫁のボルテと結婚、モンゴル族を再興する。その後、いくつかの部族などとの対立を経て1206年モンゴル帝国が創設される。この時にはすでにチンギス・ハーンと名乗っている。1226年、西夏に侵攻し首都興慶の攻略を行うが、1227年に陣中で危篤。 源義経=チンギス・カン説があるが信用に足らない俗説・文献が多く。この説は否定されている。 だがてん☆たくではこの説を取り入れた為かドットは義経と瓜二つである。 |
日本 | |
卑弥呼 | 元ネタは2世紀ごろに存在していたとされる人物。「魏志倭人伝」などの中国の史書に記されている倭国(当時の中国などの国々が日本にあった国家を指して用いた呼称)の王。それによれば、鬼道で衆を惑わしていたという。邪馬台国(今でも議論が続いているが、所在地は九州か近畿あたりらしい)に都をおいたとされている。 歴史は詳しくないけど名前だけは知っているというブラザーが多いのではないだろうか。 「卑弥呼」とは外国から呼ばれたときの名前であり、日本には卑弥呼という名の人物は存在しないのだが、江戸時代から卑弥呼がヤマト王権の誰にあたるのかが議論されている。しかし、そもそもヤマト王権の誰かであるという確証はない。 「魏志倭人伝」は三国志関連の史書であるため、三国志関連の二次創作によく登場する。なぜ卑弥呼の名が中国の史書によく登場するのかというと、当時の日本には文字の文化が無かったため、日本人による資料が存在しないからである。 |
大伴家持 | 元ネタは奈良時代に活躍していた貴族・歌人。小倉百人一首に選ばれており、それでは中納言家持という名前になっている。歌は「鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」 歌人のイメージが強いが、大伴氏は武門の家であり、藤原仲麻呂暗殺計画を立案するなど、武人としても活躍している。 万葉集で詠まれている「石麻呂に 吾物申す 夏痩せに よしといふものぞ うなぎ獲り召せ」というのは、大伴家持が石麻呂(吉田連老)に送った歌で、「あなたは痩せすぎているから、夏痩せにいいといわれている鰻を食せ」というもの。 |
小野 篁 | 元ネタは平安時代前期の公卿(国政を担う職位)・文人。小倉百人一首では参議篁(さんぎ たかむら)という名前で選ばれている。その歌は「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟」。 歴史を習っていても、その名を覚えているブラザーは少ないだろう。忌むべき表現を多用した漢詩を作り、それを読んだ嵯峨上皇によって流刑(島流し)にあっている。その後、平安京に戻っている。 夜ごとに井戸を通って地獄に下り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある。小野篁のセリフの「地獄」やら「閻魔」云々はこの伝説を基にしているのか? |
源 義経 | 元ネタは平安時代末期に活躍した武将。源氏と言えばこの人物を思い浮かべるブラザーも多いことだろう。幼名の牛若丸も大変有名。 屋島の戦い、壇ノ浦の戦いにて平氏を滅ぼす。その後、頼朝から無断での任官などなど、いろいろな不満をもたれついには対立するが、頼朝からの刺客に苦戦し辛勝するも、義経は奥州まで逃亡という道をとった。最後は衣川の館にいたところを襲撃され、持仏堂にこもり自害した。これら一連の騒動から「判官贔屓」という言葉が生まれたのである。 ちなみに、「判官贔屓」は「ほうがんびいき」とよみ「弱い立場におかれているものに対して同情を寄せる」という意味。「判官」は本来「はんがん」と読むのだが、このように使う場合や、歌舞伎などでは「ほうがん」と読む。 |
武蔵坊弁慶 | 元ネタは平安時代末期の僧衆(僧兵。京都・奈良の大寺院の雑役に服する大衆が自衛武装したもの)。 「義経記」等源義経が登場する作品では必ずと言っていいほど登場する人物。 弁慶が京で千本の太刀を奪おうと悲願をたて、義経(1000本目が義経だった)に勝負を挑んだところ返り討ちに逢い、それ以来義経の家来となった。最期は義経を守るために薙刀をふるって戦い、雨のような敵の矢を受けて立ったまま死んだとされ、「弁慶の立往生」と後世に語り継がれた。 「弁慶の泣き所」、弁慶の七つ道具から転じて、7個で一式のものを七つ道具と呼び「○○の七つ道具」など、彼に因んだ様々な言葉が存在する。 |
森 蘭丸 | 元ネタは、安土桃山時代に活躍した武将。史書によれば諱は「成利」、名前は「森乱丸」で本来は「乱」なのだがなぜが「蘭」を用いた「森蘭丸」のほうが有名。兄弟がいたようだが、森蘭丸以外の知名度はかなり低い。 織田信長が登場するフィクション作品では、森蘭丸も必ず登場するといってもいいぐらい信長との関係が深い。 礼儀正しく、機転が利き、人当たりがよい美少年とあって織田信長から寵愛されていたようである。この美少年という設定は、数多くのアニメ、ゲームなどで採用されており、さらには織田信長との関係を腐女子向けに描いた作品でも大活躍である。 |
織田信長,第六天魔王織田信長 | 元ネタは安土桃山時代に活躍した武将。戦国武将といえば、真っ先にこの人物を思い浮かべるブラザーも多いだろう。ゲーム・アニメなどの作品では強敵または強力なプレイヤーキャラとして登場することが多く、大変人気のある人物でもある。 桶狭間の戦いにて今川義元を打ち取ったのを皮切りに、主に戦いを通じて多くの大名らを打ち取ってゆく。こうして日本の約3分の1を支配下におさめ、天下統一を間近としていたが、1582年本能寺にて明智光秀に裏切りにあい自害する。 織田信長の2つ名的な表現で多用される「第六天魔王」は、上杉謙信や武田信玄が仏教がらみの名乗りを持っていたために、「ならば俺は第六天魔王だ!」てきなノリで名乗ったもの。 ゲームなどで織田信長を知っているのなら、その妻である濃姫も知っているだろう。 |
南光坊天海 | 元ネタは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧。一般的には「天海」の名で知られており、南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。 前半生に関しては資料が少ないために謎が多い人物。そんな彼は、1589年に徳川家康と出会い、天台宗を説いたとされている。その後も家康に仕え、戦の際には家康の傍らにいたとされている。天海は江戸の街割りなどで大きく関わり、また古代中国の陰陽五行説にある「四神相応」(北に山、東に川、南に海、西に道がある土地は栄えるという考え方)の考えをもとに江戸に幕府を設立した。 情報2にて「噂されるその正体は……。」とあるのは、「天海=明智光秀」説のこと。この説が本当だとした場合、天海の享年は116になり、当時の医療技術や平均年齢(30~50歳)から考えれば大変無理がある説である。 |
服部半蔵 | 元ネタは、戦国時代から江戸時代初期にかけて松平氏~徳川氏の直々の家来として活躍した武士。存在が確かではない猿飛佐助と並んで有名な忍者であるが、忍者として活躍していた服部半蔵は初代の服部保長だけであり、そのほかの服部半蔵は武士である。忍者のイメージが強すぎるため、創作もので服部半蔵が登場する際はそのほとんどが忍者として登場している。 初代服部半蔵(服部保長)は室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えていたが、その衰退ぶりに見切りをつけて松平清康に仕えることにしたが、こちらも「森山崩れ」を境に一気に衰退し、服部保長の動向は不明となった。 その後、2代目(服部正成)、3代目(服部正就)、…、と歴史上に服部半蔵が登場し続ける。 前述した通り、一般に服部半蔵と言えば忍者で知られているが、一般に知られている服部半蔵と言えば2代目の服部正成である。 |
宮本武蔵 | 元ネタは江戸初期に活躍した剣術家、兵法家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。また、重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している。名字は宮本、または新免、通称は武蔵、本姓は藤原、諱は玄信(はるのぶ)である。京都の兵法家吉岡一門との戦いや巌流島での試合が後世、演劇、小説、様々な映像作品の題材になっているように剣豪のイメージが強いが本人の著書『五輪書』には吉岡一門や巌流島の決闘は記載されていない等正確な記録が残されておらず、国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』など水墨画・鞍・木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されているなど芸術家としての記録の方が数多く残されている。 ちなみに、巌流島の戦い等の武蔵に関わる物語は江戸時代から脚色されて歌舞伎、浄瑠璃、講談などの題材にされ、後世の小説家吉川英治が1930年代に朝日新聞に連載した小説『宮本武蔵』によって最強の青年剣士武蔵のイメージが一般に広く定着した。 |
佐々木小次郎 | 元ネタは安土桃山時代から江戸時代初期の剣客。号は岩流(巖流、岸流、岸柳、岩龍とも)。ただし、名前についての詳細は不明な点も多い。中条流富田勢源、あるいは富田勢源門下の鐘捲流の鐘捲自斎の弟子とされている。初め、安芸国の毛利氏に仕える。武者修業のため諸国を遍歴し、「燕返し」の剣法を案出、「岩流」と呼ばれる流派を創始。小倉藩の剣術師範となる。1612年(慶長17年)、この「岩流」は剣豪宮本武蔵に挑戦。武蔵と九州小倉の「舟島」で決闘し、これに敗れて死んだ。 宮本武蔵との巌流島での決闘において「武蔵が決闘にわざと遅れた」とされているが、これは後世に伝わる伝記『武公伝』に材を採った小説家吉川栄治の創作である。また、この決闘時の年齢は、宮本武蔵が20代で佐々木小次郎が60歳近くだったといわれており、ライバル青年美剣士としての小次郎のイメージも創作である。 |
柳生十兵衛 | 元ネタは江戸時代に活躍した剣豪。本名は柳生三厳(みつよし)。十兵衛は通称であるが、本名にくらべ柳生十兵衛が圧倒的に有名であるため、歴史好きでもない限り「柳生三厳」では通じなかったり、「柳生十兵衛」が本名であると思っていたりする人が多い。 修行中に失明したと伝えられているため眼帯片目の姿で描かれることが多いが、当時の肖像画では両目とも開いたままで描かれており、さらには柳生十兵衛が隻眼であったという文献などは無い。 有名な剣豪ということもあって、創作物で登場することが多いが何故か女性率が高い(この人物に限ったことではないが…)。 「十兵衛杉」は奈良県奈良市柳生下町に実在する杉で、昭和48年に落雷を受けて枯死しているが、30年以上たった今でも立っている。 |
天草四郎時貞 | 元ネタは江戸時代初期に活躍したキリシタン。本名は「益田四郎」。時貞(ときさだ)は諱(いみな)。一般には天草四郎時貞という名で知られる。 教科書に取り上げられるほど有名な人物ではあり、小説などの物語では取り上げられることがあるものの、江戸時代の人物であるからか、戦国武将に比べればゲームおよびアニメなどで登場する回数は少ない。 島原の乱では指揮者として活躍したとされている。幕府の攻撃による原城陥落後の生死は不明であるが、自害したという説や、首を切り落とされ幕府に送られた説がある。 「今戦闘している者達は、来世まで友になる!」の元ネタは「いま籠城している者たちは来世まで友になる」のことで、四郎法度書に記されている文言の意訳である。 |
平賀源内’,平賀源内 | 元ネタは同名の江戸時代中ごろに活躍した、キセルを持っている肖像画が印象的な男性である。様々な学問に手を付けているが、エレキテルの復元を行った功績がもっとも有名かもしれない。 エレキテルとは摩擦起電器(静電気発生装置)のことで、見世物としてや電気ショック治療のための医療機器として用いられていた。 また、「土用の丑の日」を発案した人物としても有名で、夏に売れない鰻をどうにかして売れないかと鰻屋に相談されたところ、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、この鰻屋はかなり繁盛したという。これを他の鰻屋も真似て、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着している。 ちなみに、「土用の丑の日」の発案者は大伴家持であるともいわれ(「石麻呂に~」の歌から)、これがてんたく内での敵対関係の元になっているのか? |
遠山金四郎景元 | 元ネタは、時代劇「遠山の金さんシリーズ」に登場する遠山金四郎景元。だがこの遠山金四郎景元にも元ネタが存在しており、それが遠山景元。江戸時代の旗本で、天保年間に江戸北町奉行、大目付、後に南町奉行を務めた人物である。金四郎という名は通称。 時代劇でよく見る桜吹雪の彫り物は、「右腕のみ」やら「花びら一枚」やら「全身くまなく」など、いろいろな説があるが、そもそも遠山景元が彫り物をしていたという確たる証拠はない。 |
沖田総司 | 元ネタは幕末に活躍した「新撰組」の副長助勤(新撰組で三番目に偉い人)。一番組長。諱は春政、のちに房良(かねよし)。 天才的な剣術の才能を有し、色白、病弱で短命であった人物として知られている。 1863年に浪士組結成に参加し上洛、分裂後は近藤勇らに従い新撰組を結成する。1864年には池田屋事件で近藤勇らとともに最初に池田屋に踏み込んだ。奮戦の最中に、喀血で戦線離脱したとされている。1865年には山南敬助脱走事件にて山南を捕らえ、切腹の介錯をしたとされている。1867年に当時死の病と言われていた労咳(肺結核)に冒され、第一線から身を引き、1868年に病状が悪化し亡くなったとされている。病気を持っていたのは確かなようだが、実際に何の病だったのかは不明と言われている。 ちなみに彼の愛用の刀と言われている菊一文字則宗は鎌倉時代初期の作刀で、本物であるなら幕末当時でさえ大名家の家宝でしかお目にかかれない国宝クラスの代物であるため後世の小説家子母澤寛の創作と考えられている。 |
學天則 | 元ネタは実際に存在していた同名の東洋初、すなわち日本初のロボット。文字を書くロボットで、東洋初のロボットとして話題となったが、ドイツに渡った記録を最後に行方不明となっている。 現在はレプリカが大阪市立科学館に存在する。 |
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